力、とは、能力と言えるかもしれない。
色々な力、色々な能力について考えさせられた。
4、5日東京に行っていた。
以前から調子の悪かった携帯電話を、良い機会だから機種変更しようと思っていた。
機種変更しようと思っていたから、というワケでもないのだが、
出掛けてきて気付いたら、充電器を持ち忘れていた。
今回の東京は、誰とも会う約束をしていなかったので、
携帯が使用不可能になると致命的、という事は無い、筈であった。
しかし、充電器を忘れてきた事は、想像以上に不安な気持ちになるものだった。
大体、私は夫の携帯番号を覚えていないのだ。
勿論、非常時の主要な連絡先として、常に持ち歩いているリストに書いてある。
しかし、7年程前に引ったくりにあった時のように、
全ての持ち物を失ったとしたら、その時に頼りになるのは自分の記憶力だけなのだ。
引ったくりにあったのは、夜の11時半過ぎだった。
自宅から2分の所で引ったくりにあい現場検証をしていた私は、
警察の方に電話をお借りして自宅隣の父に電話をかけた。
こんな時間まで出歩いているからだ、家族の迷惑も考えろ、がちゃん。
出かかっていた涙も引っ込んだ。
誰も頼りにはできないのだ、と分かった。
警察署で調書を取っている間に、盗られた荷物の中の銀行のカードが気になった。
友人の電話番号を記憶していた。
恐らく12時半近かったと思うが、友人は電話に出てくれて、
カードを止める為の番号を調べてくれた。
結局、何日か後に、免許証と財布のお札1万円ちょっとと
祖母の形見の腕時計とクロスのボールペンと眼鏡が抜き取られた状態で、
携帯電話も通帳も保険証も家の鍵もそのままそっくり出てきた。
盗られた晩は、電話をして頼んでいたので父が私の家の鍵を開けておいてくれた。
そうでなかったら、私は家にも入れなかったのだ。
海外旅行をしている時の、パスポートの重要さは頭では理解している積りだ。
だが、自宅至近であっという何秒かの間に引ったくりにあった事でさえ、
個としての危機があり、その能力が試される事になるのだと悟った。
記憶力、という能力においての、顕著な衰えを認めない訳にはいかない。
メモってはいけない暗証番号はある方法で記憶しているが、
それ以外は全ての事をリストやメモにして持ち歩いている。
長野の自分の家の電話番号と郵便番号と住所のメモすら持ち歩いている。
出先でちょっと何かを宅配便で送ろうという時に困らないようにだ。
昔に覚えた事は忘れずにいるのに、
最近新しい事を覚えようとすると、それが覚えられない。
だが、これから先も、この能力の尻を叩きながら
ナンとかやっていかなければならないのだ。
脳、としての能力は、ダメージを受けるとサポートが働き出すというような、
素晴らしい働きをするらしい、という事をどこかで読んだ。
そして、刺激したり負荷をかけたりする事で、鍛える事もできそうである。
個としての能力の一つとして、もう少し鍛えていきたいと思っている。
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