すっかり忘れられたかと思っていたよ。
そんな事無いわ。ちょっとその気にならなかっただけよ。
あなたの事は、ずっと大切に思っていたわ。
そう言いながら、久しぶりにエマホープのパンプスを箱から出した。
黒のスエードで、爪先はスクエアなタイプだ。
ヒールは3センチ程だが、接地面積はとても広い。
東京で黒い服を着なければならない事になったのは、
かなり久しぶりだった。
そして、服が黒くても何色でも、きちんとパンプスを履くのは、
もっともっと久しぶりだった。
昨年の夏前、母屋から離れに引越しをした時に、
随分色々な物を処分した。
どうやらその時に大量のストッキングも処分した、ようだった。
探しても見当たらない。
あんなに沢山あった筈なのになぁ。
どこかをよく探せば出てくるかもしれないけれど、
急いでいるので、今回は新しく買う事にした。
黒い服を着る機会は、突然やってくるのだ。
朝、バイトに出掛ける時に慌てないように、前の晩に準備をしておいた。
買ってきたストッキングを袋から出して、
黒のスカートと、ノースリーブの黒いブラウスと長袖の楊柳のオーバーブラウスだ。
たまたま長野で荷造りをした時に、縮緬のグレーのスカーフを入れていた。
これも持つ事にした。
東京は、どこに行ってもクーラーがかなりかかっているのだ。
最初は、バイト向きな服装で出掛けて、帰り際に着替えようかとも思った。
だが、荷物も増えるし、閉店してからの時間がぎりぎりだったので、
朝から黒い格好で出掛ける事に決めた。
そして、このエマホープの靴ならば、
一日バイトをしてから夜まで出掛けていてもそう疲れない、と思った。
27歳で前の結婚をするまでは、スーツやトレンチコートと共に
常に6〜9センチのピンヒールを履いていた。
壊れたワケではないので、
当時履いていたパンプスの中から良い物を選んで仕舞ってある。
エマホープやブルーノマリに出会ったのはパンプスを買っていた最後の頃だ。
今でも靴は好きだけれど、
路線がすっかり変わってしまった。
最近はスリッポンシューズやアンクルブーツという路線だ。
だが、やはり黒い服を着る機会にはきちんとしたパンプスでなくてはならない。
久しぶりにご登場願ったのは、エマホープ、であった。
翌日は下準備のおかげでさっと支度して出掛けられた。
パンプスの響きが、とても女性らしい気分にさせてくれた。
その後に、悲劇がやってくるとは、想像だにしていなかった。
もうすぐバイト先のお店だ、という辺りで、
足元に違和感を感じた。
何か踏んでしまったモノが靴底にくっついたみたいに、
踵の着地感が斜めになったようだった。
イヤだなぁ、ガム踏んでくっついたのかな?
靴底が半分、取れて無くなっていた。
????ナニ????
もう一度踏んでみたら、残りの靴底も2つに分かれて取れて落ちた。
戻って拾っても復元はできそうにない、とすぐに判断した。
パニックになっていたけれど、とにかく店に入らなければと思った。
折悪しく、近所から来ている他のパートアルバイトの方は、
今日は本店から店主が来て慰労会ランチの予定があった。
間もなく2人の方が見えたけれど、
靴底を修理しにどこかに行っている間に代わって頂く事は無理であった。
驚いた事に、お二人はちょっと笑いながら同じ事を仰った。
「その靴、久しぶりに履いたんでしょう?
久しぶりに履いた靴って、そういう事がよくあるのよ」
片方の方が同情して、バイト中に履くようにとつっかけサンダルを貸して下さった。
仕方ないから、取れて無くなった右足の踵を踏まないで歩こうかと思ったけれど、
それは最終手段にして、先ずは困った時の神頼みをしてみる事にした。
実家の母に電話をして、そして、私の靴を持ってきてもらうのだ。
母は、快く引き受けてくれた。
かわいそうなエマホープの助っ人には、
甲にリボンが付いているバックベルトのフラットシューズにしよう。
母には電話の子機を持ってもらい、私が遠隔操作をするのだが、
「右側の列のワリと上の方」と言っても、その列は5列あり、
幾つも幾つも靴箱を開けているごそごそ言う音はするのだが、
とうとう母は「そういう靴は無いわよ」と言い出した。
昨日、私が見たばかりなので、絶対にある事は確かなのだが、
余り強く言っても母に申し訳無い。
「4センチ位のヒールのが出てきたから、コレでイイんじゃない?」
と言うので、
あぁアレだな、と分かり、アレちょっと古いよなぁと思ったけれど、
きちんと磨いて仕舞っておいたからまぁ大丈夫、かな、という事で、
それを持ってきてもらう事にした。
靴底が無くなって、まるでお尻丸出しみたいになってしまったエマホープの
踵を浮かしながら歩くよりはマシ、だろうと思った。
バイト中はお借りしたつっかけサンダルで事無きを得た。
踵を浮かしながら歩こう、なんて思わなくて本当に良かった、と思ったのは、
友人を待って立っている間だった。
帰宅して、改めて母にお礼を言いに行った。
大切なエマホープは、踵の破損という悲劇に見舞われたものの、
母のおかげで無傷で済んだのだ。
靴は、久しぶりに履くと靴底や踵の底が壊れる事がよくある、というのは、
果たして、一般的によくある事、なのだろうか?
だが、今から思えば、
母に後から持ってきてもらった靴は、エマホープよりも古参だった。
だが、余りに古参なので、
よく履いていた当時に靴底の爪先部分を張り直して強化していた。
修理にはお金を惜しまなかったので、
底の張り直しやヒールの踵は、高くても丈夫で長持ちする方を指定していた。
エマホープは、購入したそのままの踵だった。
接地面積が広いと、踵も減りが遅いのだ。
メンテナンスに出した事が無い靴だった。
久しぶりに陽の目を見たエマホープにとっては悲劇であったけれど、
母のおかげで私はそう困る事無く済ませてもらった。
こんな事で母を当てにして迷惑をかけることが
今後は無いように注意したいと思っている。
お久しぶり、の悲劇、には、後遺症もあった。
もう三日も経つというのに、土踏まずと脛の前側が酷い筋肉痛だ。
今後はタマにはパンプスを履いて、土踏まずを鍛えようかなぁと
今は、少しだけ思っている。
9センチのピンヒールを履いた身長170センチ超の景色を
久しぶりに見てみるのもイイかもしれない。
【日記の最新記事】

